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   <title>山猫大魔王の日記</title>
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   <title>国民保護法の概要</title>
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   <published>2009-12-07T17:08:57Z</published>
   <updated>2009-12-07T17:09:34Z</updated>
   
   <summary>災害対策基本法がベースになっている国民保護法  当該法律の制定には、災害対策基本...</summary>
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      <![CDATA[災害対策基本法がベースになっている国民保護法 
当該法律の制定には、災害対策基本法にある危機管理の枠組みがベースになっており、国民保護法においても災害時に協力が義務付けられる省庁等の地方部局など国民保護措置を所管する指定行政機関や、日本赤十字社、放送局、通信会社などの指定公共機関、指定公共機関の地方組織と鉄道会社やバス会社などの交通・輸送機関などの指定地方公共機関を定め、公共性の高い事業者の協力を義務付けている。 
さらには、災害対策基本法同様、国民の自主的な協力を求めるものであるが、災害対策基本法がやや強制力が強いのに対して、国民保護法は安全保障に関するという点から基本的人権への制限や強制力のともなう協力義務の制定は、やや警戒を招きあらぬ混乱を招きかねない部分もあることから、あくまで自主的な協力を「求める」形に留まっている。 
災害対策基本法と国民保護法の類似点及び相違点 
災害対策基本法が地方公共団体に地域防災計画を、指定公共機関等には地域防災業務計画の策定を義務付けているが、国民保護法でも地方公共団体に国民保護計画の策定を義務付けている他、指定公共機関には国民保護業務計画を義務付けているなど、運用面において表面的には類似性が極めて高い。 
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但し、災害対策基本法は地域ごとの災害からの救済や復興が中心的課題であることから、地方の役割が重いが、国民保護法の想定していることは、外国からの武力攻撃であり、テロである以上、国家の安全保障問題として国が中心となることとなっている。とりわけ、国民保護法が想定する危機とは、災害対策基本法の想定する災害と危険の性質や避難のあり方もながら、あらゆる面でとるべき対応大きく事情が異なる。前者が自然の理や人的ミスから発生する以上、その想定はある程度、想定できる。しかし、国民保護法の対象とする危機は敵国並びに悪意の第三者が大きな被害を発生させようと意図的に引き起こすことから、あからさまな手法をとらない限り、その想定並びに対策は困難を極めることが予想される。 ]]>
      
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   <title>裸子植物</title>
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   <published>2009-11-29T15:35:47Z</published>
   <updated>2009-11-29T15:40:24Z</updated>
   
   <summary>裸子植物 （らししょくぶつ）とは、種子植物のうち、胚珠がむきだしになっているもの...</summary>
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      <name>山猫大魔王の日記</name>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://arcatas.sdkpch.biz/">
      <![CDATA[裸子植物 （らししょくぶつ）とは、種子植物のうち、胚珠がむきだしになっているものを指す。ソテツ類、イチョウ類、マツ類、グネツム類を含む。裸子植物が単系統であるか側系統であるかについては、分子系統学が発達した今日でも両方の立場があり、答えが出ていない。裸子植物の分類階級は伝統的には門であるが、裸子植物が側系統である場合には、単系統のみを分類群として認める立場から裸子植物門を置かず、その代わり、ソテツ門、イチョウ門、マツ門、グネツム門を置く。

また、顕花植物と言った場合、裸子植物と被子植物とを含み、裸子植物の生殖器官は花と呼ばれるが、これはリンネに由来する語法である。ただし、裸子植物のそれを花と認めない見方もある。例えば、英語でFlowering plantと言った場合には、被子植物のみを含める。
裸子植物は種子を作るようになった最初の植物である。
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種子はシダ植物における大胞子のうと、それを覆う構造から生じたもので、本来は胞子形成を行う葉の裏面にのっていたものである。シダ種子植物ではそのような状態が見られる。しかし、多くの植物は胞子葉を特殊化させ、1つの枝先に集中して花を形成した。そのような中で、種子の元である胚珠は胞子葉の間に保護される傾向がある。被子植物では胞子葉が胚珠を包み込んで雌しべとなり、胚珠が外界から切り離されることで、その傾向がさらにもう1歩進んだと言える。そのような観点で見れば、裸子植物は、植物界の進化に於いて、被子植物への進化の途中段階のものと見なすこともできる。

また、小胞子とそれに由来する雄性前葉体を小胞子の中に閉じこめて雌性胞子葉まで届ける、ということを行うようになった。これが花粉の起源である。]]>
      
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   <title> 銀杏並木</title>
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   <published>2009-11-25T16:09:46Z</published>
   <updated>2009-11-25T16:11:16Z</updated>
   
   <summary>国道246号（青山通り）から聖徳記念絵画館に至る300メートルの大通りに銀杏並木...</summary>
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      <name>山猫大魔王の日記</name>
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      <![CDATA[国道246号（青山通り）から聖徳記念絵画館に至る300メートルの大通りに銀杏並木がある。例年11月中旬頃から色づき始め、11月下旬から12月初旬には一面黄金色した銀杏並木となり、人々がスケッチや写真撮影を行っている光景を目の当たりにすることができる。近郊のみならず、遠方からもこの銀杏並木を訪れる人も少なくない。美しさから日本国外のメディアにも取り上げられることがある。この並木は外苑完成時に植えられたもので、造営の責任者は道路工学の権威であった藤井真透（明治神宮造営局技師 藤井治芳の父）である。

学徒出陣壮行会…1943年。明治神宮外苑競技場（現在の国立競技場）で雨の降りしきる中、執り行われた。 
神宮外苑花火大会…日刊スポーツ新聞社の主催。例年8月に開催。神宮球場がメイン会場。遠くから眺めるのはもちろん無料だが、施設内で近くで見る際は有料。 
神宮外苑いちょう祭り…銀杏が色づく11月中旬頃より、各種屋外イベントが開催される。 
施設・場所により、最寄駅が異なるので、実際訪れる際は、事前に確認すること。
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料金 
外苑自体は「入苑」という概念はなく、広く開放されているので無料。但し、諸施設を利用する際は有料。 
開園時間 
明治神宮と違い開門・閉門という概念自体ない。ただしスポーツ施設などの諸施設は休館日などで利用できない場合がある。]]>
      
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   <title>中立国停戦監視委員会</title>
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   <published>2009-11-10T06:18:19Z</published>
   <updated>2009-11-10T06:19:21Z</updated>
   
   <summary>「中立国停戦監視委員会」は、朝鮮戦争において中立を宣言したスイス、スウェーデン、...</summary>
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      <name>山猫大魔王の日記</name>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://arcatas.sdkpch.biz/">
      <![CDATA[「中立国停戦監視委員会」は、朝鮮戦争において中立を宣言したスイス、スウェーデン、チェコスロバキア（当時）、ポーランドの4カ国によって板門店に置かれることとなった。しかし、チェコスロバキアとポーランドはソビエト連邦（ソ連）によってワルシャワ条約機構に加盟したので、実際は中立組織は機能していなかった。

冷戦終結と共にポーランドとチェコ（スロバキアと分離）は旧東側（ソ連圏）から離脱し、中立組織が回復するかと思われたが、両国は1999年に旧西側の北大西洋条約機構（NATO）に加盟したため、再び有名無実になり、その後チェコとポーランドが抜け、現在はスイスとスウェーデンの2国のみとなっている。

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西側に沙川江（サチョン川）が流れ、そこに架かる橋は、朝鮮戦争後に捕虜交換が行われた。北朝鮮から逃れた自由主義者、北朝鮮の捕虜となった韓国軍兵士が韓国側に渡り、その橋を渡ると二度と戻ることが出来ない事から「帰らざる橋」と呼ばれている。「ポプラ事件（ポプラの木事件）」（下記）の舞台となった場所もすぐ近くである。

軍事境界線内の韓国側、共同警備区域の周辺には、休戦当時の住人の直系子孫だけ居住することができる「自由の村（大成洞自由の村）」が設けられているが、韓国国籍者は自由に訪れることはできない。]]>
      
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   <title>中立国停戦監視委員会</title>
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   <published>2009-11-10T06:18:19Z</published>
   <updated>2009-11-10T06:19:15Z</updated>
   
   <summary>「中立国停戦監視委員会」は、朝鮮戦争において中立を宣言したスイス、スウェーデン、...</summary>
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      <![CDATA[「中立国停戦監視委員会」は、朝鮮戦争において中立を宣言したスイス、スウェーデン、チェコスロバキア（当時）、ポーランドの4カ国によって板門店に置かれることとなった。しかし、チェコスロバキアとポーランドはソビエト連邦（ソ連）によってワルシャワ条約機構に加盟したので、実際は中立組織は機能していなかった。

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軍事境界線内の韓国側、共同警備区域の周辺には、休戦当時の住人の直系子孫だけ居住することができる「自由の村（大成洞自由の村）」が設けられているが、韓国国籍者は自由に訪れることはできない。]]>
      
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   <title>リスク</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://arcatas.sdkpch.biz/2009/10/post_48.html" />
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   <published>2009-10-30T06:42:13Z</published>
   <updated>2009-10-30T06:43:05Z</updated>
   
   <summary>リスクの定義にはさまざまあるが、一般的には、「ある行動に伴って（あるいは行動しな...</summary>
   <author>
      <name>山猫大魔王の日記</name>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://arcatas.sdkpch.biz/">
      <![CDATA[リスクの定義にはさまざまあるが、一般的には、「ある行動に伴って（あるいは行動しないことによって）、危険に遭う可能性や損をする可能性を意味する概念」と理解されている。

日本語ではハザードとともに"危険性"などと訳されることもあるが、ハザードは潜在的に危険の原因となりうるものすべてをいい、リスクは実際にそれが起こって現実の危険となる可能性を組み合わせた概念である。ゆえにハザードがあるとしてもそれがまず起こりえないような事象であればリスクは低く、一方確率は低いとしても起こった場合の結果が甚大であれば、リスクは高いということになる。
経済学においては一般的に、リスクは「ある事象の変動に関する不確実性」を指し、リスク判断に結果は組み込まれない。例えば、ビルの屋上の端に立つのは危険であるが、まだ転落するか無事であるかは分からない。この状態はかなり不確実でリスクが高い。しかし、一旦転落すれば十中八九命がないとすれば、転落直後にリスクが低下することになる。
<a href='http://fsbtpmf.mrijfa.com/'>フラダンス</a>
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<a href='http://cekwffr.xhomai.org/'>ボウリング</a>
<a href='http://ya9ktk.xhomai.org/'>救急医学</a>

リスクの概念は、経済学の中でも金融理論においてよく用いられる。投資において、将来の収益が必ずしも確実といえない投資手段があるためである。投資におけるリスクは、分散投資を行うことによって低減させることが可能である。株式投資を例に取ると、単一銘柄に投資を行っている場合、その企業の持つ固有リスクのために、期待される収益を得るに当たっての不確実性が高い。しかし、投資先を分散することによって企業固有のリスクを和らげることができる。投資先を可能な限り分散し、固有リスクを分散することによって、投資によるリスクは市場リスクに近づけることができる。株式投資の例に戻ると、市場リスクとは、例えばTOPIXのような市場平均を指す。]]>
      
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   <title>ダダイスムに立脚した写真表現も存在する</title>
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   <published>2009-10-19T15:56:17Z</published>
   <updated>2009-10-19T15:57:16Z</updated>
   
   <summary>ダダイスムに立脚した写真表現も存在する。第一次大戦と続く第二次大戦を通じて形成さ...</summary>
   <author>
      <name>山猫大魔王の日記</name>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://arcatas.sdkpch.biz/">
      <![CDATA[ダダイスムに立脚した写真表現も存在する。第一次大戦と続く第二次大戦を通じて形成された虚無感を背景に、常識や秩序に対する否定や破壊といった感覚を表現の基調とする。

ダダと呼べるような写真作品を残している代表的な写真家・美術家に、マン・レイ、クリスチャン・シャド、マックス・エルンスト、ジョン・ハートフィールド、クルト・シュヴィッタース、ハンナ・ヘッヒ、ラウル・ハウスマン、北園克衛などが挙げられる。

ダダに特に多い写真表現としては、フォトモンタージュがある。単に写真を切り貼りしたというコラージュというような作品から、より緻密に1枚の作品に仕上げているものまであり、後者の作品は、シュルレアリスムの写真へもつながっていく。複数の写真を組み合わせることにより、比較的に容易に、意外性を生じさせたり社会風刺ができるところに、ダダイストたちがフォトモンタージュを好んだ理由の1つがあると推測される。
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ドイツの画家ハンス・リヒターは1910年代半ばから1920年代にかけて、ダダイスム映画作品も手がけている。

1920年（大正9年）『万朝報』8月15日号に記事「ダダイズム一面観」が掲載される。高橋新吉が1921年11月に辻潤宅を訪問し、ダダについて辻に教示し、辻はダダイストを名乗るようになる。1922年12月『ダダイズム』を　吉行エイスケが発刊。]]>
      
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   <title>核磁気共鳴（かくじききょうめい)</title>
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   <published>2009-06-19T20:34:30Z</published>
   <updated>2009-06-19T20:35:52Z</updated>
   
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://arcatas.sdkpch.biz/">
      <![CDATA[核磁気共鳴（かくじききょうめい、NMR、Nuclear Magnetic Resonance） は外部静磁場に置かれた原子核が固有の周波数の電磁波と相互作用する現象である。

原子番号と質量数がともに偶数でない原子核は0でない核スピン量子数 I と磁気双極子モーメントを持ち、その原子は小さな磁石と見なすことができる。磁石に対して磁場をかけると磁石は磁場ベクトルの周りを一定の周波数で歳差運動する。原子核も同様に磁気双極子モーメントが歳差運動を行なう。この原子核の磁気双極子モーメントの歳差運動の周波数はラーモア周波数（Larmor frequency）と呼ばれる。この原子核に対してラーモア周波数と同じ周波数で回転する回転磁場をかけると磁場と原子核の間に共鳴が起こる。この共鳴現象が核磁気共鳴（Nuclear Magnetic Resonance、略してNMR）と呼ばれる。
<a href='http://hbxyrc.shop-syokai.com/'>星と光たち</a>
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磁場中に置かれた原子核はゼーマン効果によって磁場の強度に比例する、一定のエネルギー差を持った 2I + 1 個のエネルギー状態をとる。このエネルギー差はちょうど周波数がラーモア周波数の光子の持つエネルギーと一致する。そのため、共鳴時において電磁波の吸収あるいは放出が起こり、これにより共鳴現象を検知することができる。

 応用 [編集]
核磁気共鳴は発見当初は原子核の内部構造を研究するための実験的手段と考えられていた。しかし、後に原子核のラーモア周波数がその原子の化学結合状態などによってわずかながらも変化すること（化学シフト）が発見された。これにより核磁気共鳴を物質の分析、同定の手段として用いることが考案された。このように核磁気共鳴によるスペクトルを得る分光法を核磁気共鳴分光法（Nuclear Magnetic Resonance Spectroscopy）と呼ぶ。核磁気共鳴分光法のことも単にNMRと略称する。

核磁気共鳴において共鳴の緩和時間はその原子核の属する分子の運動状態を反映する。生体を構成している主な分子は水であるが、水分子の運動はその水分子が体液内のものか臓器内のものかによって異なる。よってこれを利用して体内の臓器の形状を知ることが可能である。これをコンピューター断層撮影法に応用した方法が核磁気共鳴画像法（MRI）である。

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   <title>刃の落下衝撃の緩和</title>
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   <published>2009-06-01T21:42:12Z</published>
   <updated>2009-06-01T21:44:59Z</updated>
   
   <summary>ギロチンが破壊されたため、1872年に新しく法務大臣に就任したジュール・アルマン...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://arcatas.sdkpch.biz/">
      <![CDATA[ギロチンが破壊されたため、1872年に新しく法務大臣に就任したジュール・アルマン・デュフォール(en:Jules Armand Dufaure)は新しいギロチンの作成を命じた。 死刑執行人助手だったアルフォンス・レオン・ベルジェが改良を行い、新しい2台のギロチンが作成され、死刑廃止までこの形式のギロチンが使用された。
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改良点は以下のとおり。 
刃の落下衝撃の緩和 
２本の縦枠の下方に、刃の落下によるギロチンに加えられる衝撃を緩和するためのバネをつけた。 
後に、バネに変えて円筒形のゴムがつけられたが、これによって独特なギロチンの音が変わった。 
刃の固定装置の変更 
刃をつけた重しの上部につけられた鏃型の金属の突起がギロチンの最上部につけられた「開閉装置」に挟み込むようにはめ込まれる。 
小さなレバー（後にはボタン式）によって開閉装置を開くと、鏃形突起が外れ、刃付き重しが落下する、という仕組みであった。 
刃の稼働機構の潤滑化 
縦枠の溝を滑る重しにキャスターを取り付けることで、スムーズに落下するとともに、レールの摩耗を防ぐことになった。 
執行後の処理の迅速化 
高い台の上に設置するのを廃止して、ギロチンは直接地面の上に置いた厚板の上に立てられることになった。 
斬首後、死刑囚の頭と胴体を入れるために側に亜鉛とオイルクロスで覆った柳の籠が大小２個置かれた。 

ドイツではフランスのギロチンを元に改良型が作られた。 主な改良点は柱が金属製となり、死刑囚を拘束するための可動式の台が設けられたことである。 ドイツのギロチンはフランス式より小型で230cmの高さから落下させる。 そのため、落下高さは260センチ程しかない。

フランス革命当時のギロチンは固定設置式ではなく組み立て運搬式だった。ギロチンは使用しないときは死刑執行人の家に分解した状態で収納されており、死刑を行う通達を受けると、死刑執行人の助手たちが指定された場所へ運び込んで組み立てていた。死刑執行が終わると再び分解して収納するのが普通だった。当時は公開処刑であり、裁判所の判決しだいで死刑を実施する場所が変わったため、死刑執行人は毎回、違う場所へギロチンを搬入する必要があった。

後にソビエト連邦では馬車の荷台に据え付けたような形の移動式ギロチンが作られ、各地を巡回して全土を処刑場と化した。 さらに後年にはトラックの荷台に据え付けた自走式ギロチンという物まで作られている。

シュミット工房のギロチンはフランスの植民地にも輸出され、インドシナの植民地がフランスから独立した後も使用され続けたことがあり、インドシナ戦争当時やベトナム戦争当時の南ベトナムで使用されている。ベトコンのゲリラがギロチンで処刑しているという話はここから来ている。

なお、シュミット工房は2008年現在もフランスでバイオリンやピアノの製造を行いながら存続している。

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   <title>古事記における記述</title>
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   <published>2009-04-29T06:28:09Z</published>
   <updated>2009-04-29T06:28:54Z</updated>
   
   <summary>古事記においては、その冒頭に「天地（あめつち）のはじめ」に神々の生まれ出る場所と...</summary>
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      <![CDATA[古事記においては、その冒頭に「天地（あめつち）のはじめ」に神々の生まれ出る場所としてその名が登場する。次々に神々が生まれ、国生みの二柱の神が矛を下ろして島を作るくだりがあるから、海の上の雲の中に存在したことが想定されていたのであろう。天照大神が生まれたときに、高天原を治めるよう命じられた。須佐男命にまつわる部分では、高天原には多くの神々（天津神）が住み、機織の場などもあったことが記述されており、人間世界に近い生活があったとの印象がある。葦原中国が天津神によって平定され、天照大神の孫のニニギが天降り（天孫降臨）、以降、天孫の子孫である天皇が葦原中国を治めることになったとしている。

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『日本書紀』においては本文にはほとんどみえず、わずかに第4の一書と養老4年（720年）に代々の天皇とともに持統天皇につけられた和風諡号「高天原廣野姫天皇」にあり、 また、『古語拾遺』本文では1箇所天孫降臨の神勅と、他に祝詞説明の注に、現存の風土記では『常陸風土記』冒頭2語あるのみである。

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   <title>袁 尚（えん しょう)</title>
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   <published>2009-04-14T04:15:04Z</published>
   <updated>2009-04-14T04:16:08Z</updated>
   
   <summary>袁 尚（えん しょう、? - 建安12年9月（207年））は、中国の後漢時代末期...</summary>
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      <name>山猫大魔王の日記</name>
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      <![CDATA[袁 尚（えん しょう、? - 建安12年9月（207年））は、中国の後漢時代末期の武将。

字は顕甫。豫州汝南郡汝陽県の人。後漢の大将軍・冀州牧、鄴侯袁紹の少子にあたる。母は劉氏で、兄は袁譚、袁煕。袁譚とは異母兄弟であろうと思われる。従兄弟に高幹。袁買は、弟という説と、兄の子という説がある。

袁尚は生まれつき美貌で、武勇に優れていたため、父の袁紹、母の劉氏の双方から寵愛されていた。袁紹は袁譚を差し置いて袁尚に後継させようと目論んでいたと言う。袁尚もまた、父母の寵愛や自身の能力に驕るところがあったようで、袁氏の後継者としての自負が強かったようである。

建安7年（202年）、袁紹は病没したが、最期まで後継者を明確に指定することはなかった。袁紹軍幕僚の郭図、辛評は長男の袁譚を後継者に推し、また、衆目も年長の袁譚支持だった。しかし、やはり同幕僚の逢紀、審配は、郭図、辛評との個人的対立などもあり、袁紹の生前の寵愛を理由に袁尚を後継者として強硬に擁立した。『後漢書』袁紹伝によると、審配らは袁紹の遺言を偽造したとまでいわれている。袁尚は後継を宣言すると、母劉氏の意を受けて、袁紹の寵妾5人を族滅した。

一方、黎陽にあった袁譚は、袁尚に反発して車騎将軍を自称した。兄弟仲の隙を見越したように曹操が黎陽へ攻め込んでくると、袁譚は袁尚に援軍要請をする。しかし袁尚はこれを拒否し、怒った袁譚は袁尚派の逢紀を殺害してしまう。両者の仲はさらに険悪化し、決裂は時間の問題となった。袁尚は一方で、并州刺史高幹、河東太守郭援に曹操の背後となる関西を攻撃させたが、馬騰らをはじめとする西涼軍の攻撃を受けて郭援が戦死し、失敗に終わった。

建安8年（203年）春、袁尚と袁譚は曹操の攻撃に耐えかね、黎陽を放棄する。曹操はいったん許昌に帰還したが、郭図・辛評の助言・後押しを受けた袁譚は、鄴城外門へ先制攻撃を仕掛け、ついに袁氏兄弟の対立は決定的となった。反撃に転じた袁尚は、同年8月に袁譚を撃破し、平原に追い詰めた。これにより袁譚は、袁尚との対抗上から、曹操に降伏する。同年10月に曹操軍が北上すると、袁尚は慌てて鄴へ引き返したが、袁尚の部将呂曠・呂翔はこれに反して陽平に踏みとどまり、そのまま曹操・袁譚に寝返った。

 敗走の果ての最期 [編集]
翌建安9年（204年）春、袁尚は袁譚を攻撃したが、曹操はその隙を衝いて、審配が守る鄴を包囲した。同年7月に袁尚は鄴救援に引き返してきたが、散々に撃破されてしまい、曹操への降伏も拒否され、中山へ逃走した。袁尚に見捨てられた鄴も、翌月に陥落して、審配は処刑される。袁尚は中山でも袁譚に撃破され、幽州刺史を務めていた袁煕を頼って、その管轄地の故安に落ち延びた。しかし、袁煕配下の大将焦触・張南に裏切られ、兄の袁煕とともに烏丸を頼って遼西に遁走する。建安12年（207年）、遼西に進軍してきた曹操を、袁煕・袁尚は烏丸王蹋頓らと柳城で迎撃したがまたしても敗れ、最後は遼東の公孫康を頼って落ち延びる。

しかし曹操を恐れた公孫康は袁煕・袁尚を斬って曹操への手土産にしようと企み、2人を偽って歓迎した。袁煕は疑いを抱いたが、むしろ公孫康の軍を奪い取ろうとしていた袁尚は、強がって公孫康の下に向かう。公孫康は、袁煕、袁尚を取り押さえ、斬首し、2人の首級を曹操のもとに送り届けた。

袁尚の亡骸が鄴に運ばれると、その亡骸はかつて袁尚が自陣営に招請しようとしたことがあった、田疇によって弔われた（詳しくは田疇の項参照）。

なお、『三国志』魏書付・袁譚袁尚伝注に引く『典略』によれば、処刑直前に袁尚は寒がって筵を求めたが、兄の袁煕から「首級が万里の旅に出るのに、なぜ今さら筵がいるのか」と窘められた[1]。袁尚の器量の乏しさを窺わせるエピソードと言えよう。

袁尚は基本的に兄の譚に劣っていたとされるが、幹部級で見る限り、袁尚支持者は冀州出身として審配・沮鵠（沮授の子）、袁紹側近の逢紀、さらに幽州を治める袁煕と并州の高幹などであり、郭図・辛評（いずれも穎川出身、つまり河北出身ではない）を中心とする袁譚派に比べてかなり優勢であったことがうかがえる。正史の記述を優先するか、支持者の顔ぶれから判断するかは分かれるところであろう。

 物語中の袁尚 [編集]
『演義』でも、美貌で武勇に優れる若武者として登場し、倉亭の戦いで曹操の部将史渙を一騎打ちで討ち取る活躍を見せているが、これはもちろんフィクションである。その後は、ほぼ史実どおりの展開だが、兄の袁譚と口論、一騎打ちという脚色まで加わり、我侭ぶり、無能ぶりがさらに強調されている。

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   <title>仮名遣いの誤り</title>
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   <published>2009-03-30T04:37:47Z</published>
   <updated>2009-03-30T04:38:57Z</updated>
   
   <summary>現代仮名遣いでは認められないものを挙げる。「おまえ→×おまへ」などの間違いは児童...</summary>
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      <name>山猫大魔王の日記</name>
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      <![CDATA[現代仮名遣いでは認められないものを挙げる。「おまえ→×おまへ」などの間違いは児童に多く、学校教育を受けるにつれて直るものであるが、以下に記す事例は、まま見られる。ただし、現代仮名遣いは、その前書きにおいて「この仮名遣いは,科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。」と定めている。現代仮名遣いに沿っていないからといって個々人の表記をあげつらうのは、逆に現代仮名遣いの趣旨に反する。

こんにちわ→正:こんにちは
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ワと発音する音節は「わ」と表記するのが原則だとしながら助詞の「は」にだけ「は」と書いてワと読ませる例を残した現代かなづかいの主観性は『私の国語教室』などで強く批判されたところだが、この規定は現行の改訂現代仮名遣いにも引き継がれた。1946年の規定では助詞の「は」を「わ」と書くことをも許容する含みを持たせていたものが、現行の規定では明確に「は」と書くと定められている[2][3]。「今日は御機嫌いかがですか」のような表現の省略されたものであり、もともと助詞の「は」だったから「は」と書くのだ、と説明されることがある 
ゆう→正:いう

動詞「言う」は、発音どおりに表記するという現代仮名遣いの原則に従えば「ゆう」だが、特例として「いう」と表記すると定められている。現代仮名遣いによれば「いう」と表記して「ユー」と発音するものだが、「イ・ウ」と発音するのが正式だと誤解している者もいる[要出典]。 
この他、正仮名遣（歷史的仮名遣ひ）こそ「日本語として本來あるべき仮名遣ひだ」として、現代仮名遣い自体が批判されることがある。この立場からは、先に挙げた「おまへ」の表記こそが正しく、「おまえ」の方が間違っていることになる。

品詞の転成 [編集]
品詞の転成は古くから見られる現象である。「白・青・赤・黒→白い・青い・赤い・黒い」「群れる→群・村」「すごい→すごむ」「涼しい→涼む」「広い→広める」「見せる→店」「〜すべし→〜すべきだ」「好く→好きだ」のように、今日普通に使われている語の中にも、元々は品詞の転成によって生まれたものは枚挙に暇がない。古くに品詞の転成を起こしたものは日本語の乱れとされないが、比較的最近に品詞の転成を起こしたものは日本語の乱れとされることがある。

 動詞の形容詞化 [編集]
動詞「違う」を「違かった」「違くない?」のように形容詞化。同じように動詞から形容詞に転成した例には「涙ぐむ→涙ぐましい」「恐る→恐ろしい」などがあるが、これらは転成した時期が古いので日本語の乱れとはされない。 
「好きではない」→「好きくない」。「好きだ」という形容動詞自体「好く」という動詞から転成したものだが、「好く→好きだ」の変化は同じ品詞の転成でもやや古く通常日本語の乱れとはされない。 

 形容詞の副詞化 [編集]
形容詞「すご（凄）い」を無活用のまま「すごい速い」と連用修飾で副詞的に使用。 
近畿方言においては、「えらいびっくりした」のような形容詞を終止形で使用する例は江戸時代より見られる。 

鼻濁音の消失 [編集]
鼻濁音[ŋ]については、以前より関西を除く西日本方言ではあまり使われていなかったが（鼻濁音は本来、関東・東北地方などの東国から近畿地方にかけてのみに認められる特徴であった）、若年層においては東京など東日本でも使われなくなる傾向がある。さらに、鼻濁音と同様の用法を持つ有声軟口蓋摩擦音[ɣ]が広まっている。これについても、年配層からは日本語の乱れであると指摘する声がある。

たとえば、程度を表す副助詞「〜くらい」と「〜ぐらい」の混用が目立ち、

「これくらい」と「これぐらい」 
「息もつかないくらい」と「息もつかないぐらい」 
などが挙げられる。

外来語表記 [編集]
 この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
「コンピューター」と「コンピュータ」 
「トラクター」と「トラクタ」 
「ドーナツ」と「ドーナッツ」 
「ホッチキス」と「ホチキス」 
機械を表す外来語では、長音を伴わないのが専門用語的・学術的、伴うのが一般語的とされる傾向にある。また世代差、各人が持つ表現の嗜好によっても左右される。

固有名詞でも「ゆれ」の収まったもの（「レーガン」と「リーガン」（アイルランド系であるレーガンがアイルランドではレーガンと発音すると言うことでレーガン自身がレーガンを使ったので「ゆれ」ではない）など）と「ゆれ」の残るもの（「リンカーン」と「リンカン」、「ヒトラー」と「ヒットラー」など）がある。「BMW」の読み方は、以前はドイツ語読みの「ベーエムヴェー」が一般的だったが、近年は英語読みの「ビーエムダブリュー」（若しくは略して「ビーエム」）の方がよく用いられる。

NHKのアナウンサーは「エヌエイチケイ」と発音しているが、たとえば静岡市内を走るしずてつジャストラインの路線バスの車内放送では、「NHK前」を「エヌエッチケーまえ」と発音している。「正しい発音」だと年配の乗客が認識できず、乗り過ごしてしまう人が多いためである
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   <title>仁安3年（1168年）に滋子が出産した後白河の皇子</title>
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   <published>2009-03-16T01:50:42Z</published>
   <updated>2009-03-16T01:51:30Z</updated>
   
   <summary>仁安3年（1168年）に滋子が出産した後白河の皇子が高倉天皇として即位した。高倉...</summary>
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      <![CDATA[仁安3年（1168年）に滋子が出産した後白河の皇子が高倉天皇として即位した。高倉の即位は、清盛だけでなく、安定した王統の確立を目指していた後白河も望んでいたものであり、後白河と清盛は利害をともにする関係にあったといえる。この時期まで後白河と清盛の関係は良好であった。清盛の家系は、代々院に仕えることで勢力を増してきたのであり、清盛も後白河の院司として精力的に貢献を重ねてきた。応保2年（1162年）、後白河が日宋貿易の発展を目論んで摂津の大輪田泊を修築した際、清盛は隣接地の福原に日宋貿易の拠点として山荘を築いているが、このことは、後白河と清盛が共同して日宋貿易に取り組んでいたことを示している。

清盛は、若い頃から西国の国司を歴任し、父から受け継いだ西国の平氏勢力をさらに強化していた。大宰大弐を務めた時は日宋貿易に深く関与し、安芸守・播磨守を務めた時は瀬戸内海の海賊を伊勢平氏勢力下の水軍に編成して瀬戸内海交通の支配を強めていった。こうして涵養した実力を背景として、清盛は後白河と深く結びついていた。

また、基実が死去した際、清盛は摂関家が蓄積してきた荘園群を基実の正室盛子＝清盛の娘に伝領させた。これにより清盛は厖大な摂関家領を自己の管理下へ置くことに成功した。摂関家を嗣いだ基房は伊勢平氏による押領だと非難したが、この事件は摂関家の威信の低下を如実に表しており、清盛一族は大きな経済基盤を獲得した。

以上に見るように、政治世界における武力が占める比重の増加、後白河と清盛の強い連携、後白河と滋子の関係、高倉の即位、清盛の大臣補任、日宋貿易や集積した所領（荘園）に基づく巨大な経済力、西国武士や瀬戸内海の水軍を中心とする軍事力などを背景として、1160年代後期に平氏政権が確立した。

この時期、後白河は院政の強化を図っており、清盛の子の重盛に軍事警察権を委任し、東海道・東山道・山陽道・南海道の追討を担当させた。また、内裏の警備のために諸国から武士を交替で上京させる内裏大番役の催促についても、清盛が担うようになっていた。こうした動きは、院と深く連携して院政の軍事警察部門を担当することを平氏政権の基盤に置くものであり、その中心には重盛がいたが、その一方で清盛は、西国に築いた強固な経済・軍事・交通基盤によって院政とは独自の路線を志向するようになっていたと考えられている。

仁安3年（1168年）に清盛は出家した。政界から引退して福原の山荘へ移り、日宋貿易および瀬戸内海交易に積極的に取り組み始めた。後白河も清盛の姿勢に理解を示し、嘉応元年（1169年）から安元3年（1177年）まで毎年のように福原の山荘へ赴いた。嘉応2年（1170年）後白河は福原山荘にて宋人と対面しているが、これは宇多天皇の遺戒でタブーとされた行為であり、九条兼実は「我が朝、延喜以来未曾有の事なり。天魔の所為か」（『玉葉』）と驚愕している。同年に藤原秀衡が鎮守府将軍になるが、日宋貿易の輸出品である金の貢納と引き換えに任じられたと推測される。これについても兼実は「夷狄（いてき）」の秀衡を任じたことは「乱世の基」であると非難しているが、これらの施策により日宋貿易は本格化していった。

承安元年（1171年）、清盛は娘の平徳子（建礼門院）を高倉天皇の中宮とした。清盛一族と同様に、建春門院の兄・平時忠一族も栄達し、両平氏から全盛期には10数名の公卿、殿上人30数名を輩出するに至った。『平家物語』によれば、時忠は「平家一門でない者は人ではない（この一門にあらざれば人非人たるべし）」と放言したと伝えられている。


 動揺期 [編集]
ながらく続いた後白河と清盛の良好な関係は、安元2年（1176年）の建春門院の死によって大きな変化が生じ始めた。後白河の寵愛する建春門院は、後白河と清盛の関係をつなぐ重要な存在であったが、その死は、両者間に蓄積していた対立点を顕在化させることとなった。

高倉天皇は成人して政治への関与を深めていたが、後白河も院政継続を望んでいたため、高倉を擁する平氏と後白河を擁する院近臣の間には人事を巡って鋭い対立が生じていた。院近臣の藤原定能・藤原光能が蔵人頭になったことに対抗して、平氏側からは重盛・宗盛がそれぞれ左大将・右大将になるなど、しばらくは膠着状態が続いた。後白河は福原を訪れて平氏との関係修復を模索するが、ここに突然、新たな要素として延暦寺が登場する。加賀守・藤原師高の目代が白山の末寺を焼いたことが発端で、当初は目代と現地の寺社によるありふれた紛争にすぎなかったが、白山の本寺が延暦寺であり、師高の父が院近臣の西光だったため、中央に波及して延暦寺と院勢力との全面衝突に発展した。この強訴では、重盛の兵が神輿を射るという失態を犯したことで延暦寺側に有利に事が運び、師高の配流で一旦は決着する。

安元3年（1177年）4月には、大内裏・大極殿・官庁の全てが全焼する大火が発生した（太郎焼亡）。この大火は後白河に非常に大きな衝撃を与えた。このような中で延暦寺への恨みを抱く西光は後白河に、天台座主・明雲が強訴の張本人であり処罰することを訴えた。明雲は突如、座主を解任されて所領まで没収された上、伊豆に配流となった。激怒した延暦寺の大衆が明雲の身柄を奪回したため、ここに延暦寺と院勢力との抗争が再燃することになった。後白河は清盛に延暦寺への攻撃を命じるが、清盛自身は攻撃に消極的であり、むしろ事態を悪化させた後白河や西光に憤りを抱いていた。延暦寺攻撃直前の6月1日、多田行綱が京都郊外の鹿ヶ谷で成親、西光、俊寛ら院近臣が集まり平氏打倒の謀議をしていたと密告した。清盛は関係者を速やかに斬罪や流罪などに処断した（鹿ヶ谷の陰謀）。陰謀が事実であったかは定かでないが、これにより清盛は延暦寺との望まぬ軍事衝突を回避することができ、後白河は多くの近臣を失い、政治発言権を著しく低下させてしまった。

清盛は、後白河との関係を放棄する一方で高倉天皇との関係を強化し、高倉もまた後白河院政からの独立を志向し、翌治承2年（1178年）、両者は連携して新制17条を発布した。同年には中宮・徳子（清盛の娘）が高倉の皇子を出産し、皇子は生後1月で皇太子に立てられた。

治承3年（1179年）重盛と盛子が相次いで死去すると、後白河は関白基房と共謀し、清盛に無断で重盛の知行国（越前）と盛子の荘園を没収した。特に盛子の所領は高倉が相伝することが決まっていたため、高倉・清盛側と後白河側の対立は悪化の一途をたどった。11月14日清盛は福原から上京すると、関白・基房、権中納言・師家を手始めに、藤原師長以下39名（公卿8名、殿上人・受領・検非違使など31名）を解官、後白河も鳥羽殿へ幽閉した。これは事実上、軍事力による朝廷の制圧であり後白河院政は完全に停止された。以後、平氏政権はますます軍事的な色彩を強めていく。この治承三年の政変をもって、武家政権としての平氏政権が初めて成立したとする見解もある。従前の高官に代わって平氏一族や親平氏的貴族が登用され、また知行国の大幅な入れ替えもあって中央・地方の両面において平氏一門を中心とする軍事的な支配体制が強化していった。

同年の平氏一門の知行国25か国、国守29か国にのぼり、伊勢平氏の勢力基盤の西国のみならず、東国にも平氏政権の勢力が及ぶこととなった。平氏の荘園は500余箇所だったとされているが、平氏は本家などといった最上位の領主として荘園を支配したのではなく、領家や預所といった職で荘園管理に当たっていた。平氏政権は、各地の武士を系列化したり、家人の武士を各地へ派遣し、知行国においては国守護人、荘園においては地頭と呼ばれる職に任命して現地支配に当たらせた。ただし、こうした現地支配の形態は、関係史料が少ないため明らかでない部分もあるが、平氏支配地に一律で適用されたのではなく、武士による支配を模索する中で現れたに過ぎないとされている。これは後の鎌倉幕府による本格的な武家政権支配と比較すると、御家人制度のように確立されたものでもなく未熟なものだったといえるが、武士を通じた支配ネットワークを構築したことは従前の貴族政権には見られない画期的なものとされ、ゆえに学界では発現期の武家政権であるとする評価が主流となっている。なお、平清盛が置いた国守護人・地頭は、鎌倉期におけるの守護・地頭の祖形だと考えられている。
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治承4年（1180年）2月、3歳の安徳天皇が践祚し、高倉上皇は院政を開始した。この時こそ清盛の平氏政権が最も強固な体制を築いた絶頂期であったが、しかし、平氏政権は後白河との良好な関係の上に形成されてきたのであり、前年のクーデターによって後白河との関係は解消されてしまっており、平氏政権の絶頂は極めて脆弱な基盤に載っていたといえる。

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   <title>RX打倒の切り札としてジャーク将軍に招集され2度</title>
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   <published>2009-02-26T05:32:28Z</published>
   <updated>2009-02-26T05:34:19Z</updated>
   
   <summary>シャドームーン / 秋月 信彦（あきづき のぶひこ）  前作『仮面ライダーBLA...</summary>
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      <name>山猫大魔王の日記</name>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://arcatas.sdkpch.biz/">
      <![CDATA[シャドームーン / 秋月 信彦（あきづき のぶひこ） 
前作『仮面ライダーBLACK』におけるBLACKの宿敵で、ゴルゴム神殿の崩壊に巻き込まれ死亡したと思われていたが、全ての記憶を失いながらも奇跡的に生き延びていた。復活した当初は、BLACK（＝光太郎）に対する闘争本能だけを頼りに各地をさまよい歩いていたが、RX打倒の切り札としてジャーク将軍に招集され2度にわたって激闘を繰り広げた。 
外見上では特に大きな変化はないが、前作で使用していたサタンサーベルに代わり、新たに「シャドーセイバー」と呼ばれる長短2振りの魔剣を腕部の突起から作り出すようになった。また初戦では事前にRXの戦いをモニターし各形態の能力を把握していたとはいえ、総合能力において自分を大きく上回るはずのRXの各形態とも互角以上に渡り合った。 
10人ライダー 
前々作『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』までに登場した、歴代の仮面ライダーたち。終盤より度々アリゾナで特訓を積んでいる様子が描かれたが、その後クライシスが全面攻撃を開始したのに伴い海外から帰国を果たし、RXと共闘する。出演者の都合上、スーツアクターの演技とアフレコによる登場だった。各ライダーの詳細については以下のリンク先を参照。 
仮面ライダー1号 
仮面ライダー2号 
仮面ライダーV3 
ライダーマン 
仮面ライダーX 
仮面ライダーアマゾン 
仮面ライダーストロンガー 
スカイライダー 
仮面ライダースーパー1 
仮面ライダーZX 

仮面ライダー
本作品に登場する仮面ライダーは前作に登場したBLACKの進化形であり、クライシス帝国の襲撃により変身機能を破壊され、宇宙空間に放逐された南光太郎の体内に宿るキングストーンが太陽光線のエネルギーによって進化し、新たに下記の「BLACK RX」として生まれ変わったものである。またクライシス帝国との激戦の中で、RXはさらに後述する2つの変身能力を会得。展開が進むにつれRXを介さなくても直接変身することも可能となった。

仮面ライダーBLACK RX
「光の王子」「太陽の子」の異名を持つ基本フォーム。身長198.8cm。体重88kg。ジャンプ力は60m、水中での活動時間は30分。時速315キロで走ることが出来る。また変身前であっても5分間呼吸を停止することも可能。BLACKに比べかなり細面でがっちりとした体格となり、体色には一部濃い緑色が加わっている他、胸にあった蛇と宝玉の図案化された世紀王の紋章は「RX」と読める形に変わっており、変身に際して取るポーズもBLACKの時とは全く異なっている。

変身ベルト「サンライザー」はそれまでのキングストーンの力と太陽の力を象徴するように、ダブルタイフーンのような形状を採っている。また腹部に太陽光を取り入れて蓄積する新たなシステムサンバスクが備わっており、ここで取り入れられた太陽光とキングストーンのパワーが生み出すハイブリッドエネルギーによって、BLACKの数倍のパワーを発揮する他、かなりのダメージを受けても太陽光線を受けることで瞬く間に回復する。キングストーンも時に光太郎に神託のようにアドバイスを与えることもある。

弱点としては、怪魔界など太陽光線の差し込む期間が限られるような場所において変身の制限を受けるという点が序盤において特に強調されていたが、後に夜間でも支障なく変身している描写が見られるようになった。またもう一つの致命的な弱点として、リボルケインを生成する際にキングストーンが無防備になる点がある。この他にもサンバスクを破壊されると能力が大幅に減退するが、太陽光線とキングストーンのエネルギーにより一瞬で再生する機能が備わっている。

必殺技はエネルギーを集中させたリボルケインで敵の身体を貫く「リボルクラッシュ」で、劇中で最も多用された。もう一つの必殺技にライダーキックの3倍の威力を持つ「RXキック」が存在するが、こちらは主に繋ぎ技として使用されることが多い。このほか、BLACKの頃と同様に「キングストーンフラッシュ」を放つことも可能である。

専用ツール 
リボルケイン 
サンライザーによって光を結晶化することで生成される剣状のスティック。前述のリボルクラッシュを放つ際に用いられるほか、敵の光線を受け止め無効化することも可能。リボルクラッシュを決めて引き抜かれた後には「R」の字を描くように振るわれる。 
アクロバッター 
「光機動生命体」と呼ばれる、意思を持つバイク型の生命体。前作の最終決戦においてBLACKを援護し自爆したバトルホッパーの残骸が、RXの進化に呼応して進化再生したものであり、RXの心強い相棒として全編にわたって活躍した。最高時速750キロ。ベース車はモトクロッサーと同名の市販2サイクル水冷オフロード車である、スズキRH250[3]。 
バトルホッパーの頃は死に際になって初めて言葉を発したが、アクロバッターに進化してからは流暢に話が出来るようになった。更に二段変身したRXが搭乗することにより、自らもそれに応じて変形する能力も持つ。但し市販車への偽装機能はバトルホッパーの時と同様に持っておらず、普段は廃工場に待機し、RXの呼び出しに応じて現れる。そのため変身前の光太郎は前作同様に市販のバイクを使用するが、RXではスズキRGV250Γに乗り換えている。 
動力源はバトルホッパーと同じく「モトクリスタル」。装甲は「ソーラジルコン」と呼ばれる物質に強化され、光子を噴射する推進器「フォトンバーナー」も新たに備わった。バトルホッパーの時と同様、ライダーが搭乗すると両者のパワーが融合し、ソーラジルコンにパワーを充填して放つ体当たり「アクロバットバーン」は、あらゆる障害物を粉砕する。 
ライドロン 
「光の車」「重装騎マシン」とも呼ばれる、RXの専用四輪車。クライシス帝国で皇帝の政策に反対し、僻地に流されていた学者・ワールド博士の設計図を託された光太郎が独力で製作したもので、設計図通りに組み立てたが当初は起動しなかったため、かつてゴルゴムのクジラ怪人がBLACKの命を救った場所「聖なる海の洞窟」に運び、「生命のエキス」を得て起動。エキスの力によって自分の意志を持ち人語を解して会話も行えるスーパーマシンとなった。 
最高時速1500キロで、地上だけでなく水上、水中、さらには地中も疾走し、「ライディングアロー」と呼ばれる強力な体当たり技や、怪魔界と地球を行き来する能力をも持つ。車体前部に「グランチャー」というアゴ、車体上部に「パイルエッジ」という鋸状の突起を備え、地中を進む際の掘削機や、戦闘時の武器として活用する。普段はアクロバッターと共に廃工場に待機し、RXのコールによっていかなるところへも現れる。 

ロボライダー
「悲しみの王子」「炎の王子」の異名を持つ多段変身形態の一つ。ジャンプ力は48メートル、水中での活動時間は30分。胸の紋章は「R2」もしくは「Rr」（RX robo-riderの頭文字か）と読める形に変化している。マリバロンにさらわれた佐原社長の娘・ひとみの命を目の前で奪われた[4]RXの深い悲しみにキングストーンが呼応し、再度の変身をもたらしたもので、名前どおりロボット然とした重量感のある動きが特徴で、敏捷性には欠けるが、圧倒的な防御力と凄まじい剛力を発揮する。

黒と黄色を主体としたボディカラーを特徴とし、全身の皮膚が耐熱・耐衝撃性に優れた金属質の装甲「ロボフォーム」に変化している。また、火をエネルギーとして吸収できる他、コンピュータへのハイパーリンク能力も持っている。弱点は前出の敏捷性の低下の他、ボディが金属分子を含むため、強い磁力によって動作が阻害されることがある点が挙げられる。必殺技はボルティックシューターからエネルギー弾を放つ「ハードショット」。またこれ以外にもRXよりも1.25倍高い威力の強烈なパンチ「ロボパンチ」を得意技として多用する。

専用ツール 
ボルティックシューター 
右太もも付近で光を結晶化させて出現させる光線銃。 
ロボイザー 
アクロバッターがロボライダーに合わせて姿を変えたもの。厚い装甲と後部に後ろ向きについたバルカン砲を備え、アクロバッターをも凌ぐ最高時速800キロを生かした高速追跡能力が特徴。ベース車はアクロバッターと同じくスズキRH250（クランクケースの形状から判断できる）。 

バイオライダー
「怒りの王子」の異名を持つ多段変身形態の一つジャンプ力は72メートル。水中での活動時間は無限。胸の紋章は「R3」もしくは「RB」（RX Bio-riderの頭文字か）と読める形に変化している。策略によりロボライダーのパワーでも脱出不可能な部屋に閉じこめられ、怒りに燃えたRXにキングストーンが応え、三度の変身能力をもたらしたものである。

青と銀、そして赤を基調としたボディカラーを特徴とし、ロボライダーとは正反対に俊敏な動きを生かして戦う。最大の特徴は身体が液体分子構造を持っていることで、身体を液化すれば弾丸やレーザーなどの物理攻撃は一切受け付けず、狭い場所にも自在に入り込めるようになる。また自身の体に毒素を打ち込んでの抗体の精製や、人間の細胞との合体等の荒業も可能。劇中ではほぼ「無敵」と言って良い存在だったが、パワーに劣る点や接近戦（例えば格闘戦）における打撃は必ずしも受け流せないこと、熱にやや脆いために炎を使った攻撃が苦手、という弱点もある。必殺技としてバイオブレードによる一閃「スパークカッター」を用いるほか、身体を液化させ空中を飛び回りながら相手に攻撃を与える「バイオアタック」を得意とする。

専用ツール 
バイオブレード 
左腰付近で光を結晶化させて出現する細身の剣。刺突に優れるリボルケインに対し、こちらは切断能力に優れる。 
マックジャバー 
アクロバッターがバイオライダーに合わせて姿を変えたもの。スピードよりもオフロード走破性に優れ、またバイオライダーと同様に液化可能なボディを持つ。劇中ではロボイザーも含め、この形態はあまり使用されていない。ベース車は先の2台と同様のスズキRH250。 
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クライシス帝国
異次元世界である怪魔界に存在する帝国。文明の発展とともに汚染や砂漠化といった環境破壊が進んだため、地球の全人類を抹殺して臣民50億人を移住させようと目論み、その戦略基地を確保するために日本を狙う。クライシス皇帝の命を受けたジャーク将軍の指揮の下、4大隊長がそれぞれの配下である怪魔戦士を用いて作戦を展開したが、RXの活躍により作戦は遅々として進まず、このため中盤以降は皇帝直属の査察官・ダスマダー大佐が加わった。

最終決戦において、怪魔界とは地球のもうひとつの姿で、人間界で人間が環境を破壊したために怪魔界が危機に陥ったというクライシス皇帝より告げられるが、一方でクライシス皇帝の政策で怪魔界の危機が訪れたというワールド博士の言葉も存在する。

主な戦力
クライス要塞 
地球攻撃兵団の旗艦。艦首の巨大な頭部や昆虫のような多数の節足が特徴で、怪魔界と地球とを自由に航行することが可能。 
怪魔戦士 
怪魔獣人 
ボスガンが率いる「怪魔獣人大隊」に属する戦士たち。クライシス人の中で優れた者を改造強化したもので、動物などの特性を持つ者が多い。怪魔戦士の中では、前作に登場したゴルゴムの怪人に比較的近いデザイン。名称は「ガイナ～」で統一されている。 
怪魔妖族 
マリバロンが率いる「怪魔妖族」に属するサイキック戦士。マリバロンの大叔母でもある百目婆ァを筆頭に、戦闘訓練を受けてより強力な妖魔力を身につけたクライシス人によって構成されており、いずれも妖怪的な風貌が特徴。名前には必ず漢字が含まれている。 
怪魔ロボット 
ガテゾーンが率いる「怪魔ロボット大隊」に属するロボット。いずれも怪魔界の超科学で作られ、人間並の知能を持つ精強な者が揃っている。また並外れた火力とパワーを有するものも多く、RXがパワーアップを重ねた後も苦戦させることが多かった。他の大隊の怪魔戦士とは異なり名称に統一されたパターンはなく、各々が持ち合わせる特性に由来したネーミングが多い。 
怪魔異生獣 
ゲドリアンが率いる「怪魔異生獣大隊」に属する戦闘獣。怪魔界の生物をクライシスの科学力で強化したもので、人間並の知能を持つ。名前は一部の例外を除き、類似した語句を連続させ韻を踏んだ形となっている。 
最強怪人グランザイラス 
RX打倒のためにクライシス皇帝が遣わした最終破壊兵器。強大な戦闘能力を有し、体内には街一つを廃墟とするほどの威力の爆弾が内蔵されている。RXや10人ライダーの攻撃をものともせず、作中に登場した敵の中では唯一リボルクラッシュをも打ち破るほどの実力の持ち主でもある。2度目の対決では体内に進入したバイオライダーに内側から攻撃されて倒されるが、それもまたRXとの相討ちを目論んだダスマダーの思惑通りであった。 
チャップ 
地球攻撃兵団の一般兵士で、3色のタイプが存在し、3人一組で行動することが多い。いわゆる従来の敵組織に見られる「戦闘員」に相当する存在であり、前作で廃されていた「戦闘員との立ち回り」がある程度復活した形となったが、基本的には偵察・工作活動要員で戦闘向きではない。 
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   <title>宇治川の戦い/一ノ谷の戦い</title>
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   <published>2009-02-10T01:52:52Z</published>
   <updated>2009-02-10T01:56:19Z</updated>
   
   <summary>宇治川の戦い（うじがわのたたかい）は、平安時代末期の寿永3年（1184年）1月に...</summary>
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      <![CDATA[宇治川の戦い（うじがわのたたかい）は、平安時代末期の寿永3年（1184年）1月に源義仲と鎌倉の源頼朝から派遣された源範頼、源義経とで戦われた合戦。治承・寿永の乱の戦いの一つ。
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経過
寿永2年（1183年）7月、信濃国で平家打倒の挙兵をした源義仲が数万騎を率いて入洛した。義仲軍は京で乱暴狼藉を働き、やがて皇位継承を巡って後白河法皇とも対立した。9月、義仲軍は備前国水島の戦いで平家軍に大敗、後白河法皇は義仲を見放した。10月、後白河法皇は鎌倉の源頼朝に東海道・東山道の支配を認める宣旨を下し、頼朝に接近する（寿永二年十月宣旨）。11月、起死回生をはかった義仲は院御所の法住寺殿を攻撃、後白河法皇を幽閉して政権を掌握した（法住寺合戦）。孤立を深める義仲は平家との和平を打診するが、拒絶される。12月、義仲は後白河法皇に強要して頼朝追討の院宣を発出させる。そして翌寿永3年（1184年）1月、義仲は征夷大将軍（または征東大将軍）に任命された。1月20日、頼朝は近江にまで進出させていた範頼、義経に義仲追討を命じた。

入洛時には数万騎だった義仲軍は、水島の戦いの敗北と状況の悪化により脱落者が続出して千騎あまりに激減していた。義仲は義仲四天王の今井兼平に500余騎を与えて瀬田を、根井行親、楯親忠には300余騎で宇治を守らせ、義仲自身は100余騎で院御所を守護した。1月20日、範頼は大手軍3万騎で瀬田を、義経は搦手軍2万5千騎で宇治を攻撃した。

義経軍は矢が降り注ぐ中を宇治川に乗り入れる。佐々木高綱と梶原景季の「宇治川の先陣争い」はこのときのこと。根井行親、楯親忠は必死の防戦をするが、義経軍に宇治川を突破される。義経軍は雪崩を打って京洛へ突入する。義仲が出陣し、義経軍と激戦となる。義仲は奮戦するが遂に敗れ、後白河法皇を連れて西国へ脱出すべく院御所へ向かう。義経は自ら数騎を率いて追撃、院御所門前で義仲を追い払い、後白河法皇の確保に成功する。後白河法皇を連れ出すことを断念した義仲は今井兼平と合流すべく瀬田へ向かった。

瀬田で範頼軍と戦っていた今井兼平は宇治方面での敗報を知り退却、粟津で義仲との合流に成功する。義仲は北陸への脱出をはかるが、これへ範頼の大軍が襲いかかる。義仲軍は奮戦するが次々に討たれ、数騎にまで討ち減らされたところで、遂に義仲が顔面に矢を受けて討ち取られた。今井兼平も義仲を追って自害した（粟津の戦い）。

一ノ谷の戦い
一ノ谷の戦い（いちのたにのたたかい）は、平安時代の末期の寿永3年/治承8年2月7日（1184年3月20日）に摂津国福原で行われた戦い。治承・寿永の乱（源平合戦）における戦いの一つ。

寿永2年（1183年）5月の倶利伽羅峠の戦いで源義仲に敗れた平氏は兵力の大半を失い、同年7月に安徳天皇と三種の神器を奉じて都を落ち、九州大宰府まで逃れた。京を制圧した義仲だが、統治に失敗して後白河法皇とも対立するようになった。義仲は後白河法皇の命で平氏追討のために出兵するが備中国で大敗を喫してしまう（水島の戦い）。後白河法皇は義仲を見限り、鎌倉の源頼朝を頼ろうとするが、これが義仲を激怒させ、後白河法皇は幽閉されてしまう。

情勢が不利になり脱落者が続出して義仲の兵力は激減してしまい、讃岐国屋島にまで復帰していた平氏へ和平を申し出るが、平氏はこれを拒絶した。寿永3年（1184年）1月20日、頼朝が派遣した範頼、義経の鎌倉政権軍に攻められて義仲は滅んだ（宇治川の戦い）。

この源氏同士の抗争の間に勢力を立て直した平氏は、同年1月には大輪田泊に上陸して、かつて平清盛が都を計画した福原まで進出していた。平氏は瀬戸内海を制圧し、中国、四国、九州を支配し、数万騎の兵力を擁するまでに回復していた。平氏は同年2月には京奪回の軍を起こす予定をしていた。

1月26日、後白河法皇は、頼朝に平家追討と平氏が都落ちの際に持ち去った三種の神器奪還を命じる平家追討の宣旨を出した。平氏の所領500ヵ所が頼朝へ与えられた。

合戦の経過
以下は『吾妻鏡』『平家物語』などを基にした巷間で知られる合戦の経過である。

 前哨戦
寿永3年（1184年）2月4日、鎌倉方は矢合せを7日と定め、範頼が大手軍5万6千余騎を、義経が搦手軍1万騎を率いて京を出発して摂津へ下った。平氏は福原に陣営を置いて、その外周（東の生田口、西の一ノ谷口、山の手の夢野口）に強固な防御陣を築いて待ち構えていた。

同日、搦手を率い丹波路を進む義経軍は播磨国・三草山の資盛、有盛らの陣に夜襲を仕掛けて撃破する（三草山の戦い）。前哨戦に勝利した義経は敗走した資盛、有盛らを土肥実平に追撃させて山道を進撃した。

2月6日、福原で清盛の法要を営んでいた平氏一門へ後白河法皇からの使者が訪れ、和平を勧告し、源平は交戦しないよう命じた。平氏一門がこれを信用してしまい、警戒を緩めたことが一ノ谷の戦いの勝敗を決したとの説がある（後述）。

迂回進撃を続ける搦手軍の義経は鵯越で軍を二分して、安田義定、多田行綱らに大半の兵を与えて通盛・教経の1万騎が守る夢野口（山の手）へ向かわせる（後述）。義経は僅か70騎を率いて山中の難路を西へ転進した。

『平家物語』によれば、義経の郎党の武蔵坊弁慶が道案内を探し、猟師の若者がこれを引き受けた。義経はこの若者を気に入り、郎党に加えて鷲尾三郎義久と名乗らせた。鷲尾義久が鵯越は到底人馬は越えることのできぬ難路であると説明すると、義経は鹿はこの道を越えるかと問い、鷲尾義久は冬場に鹿は越えると答えた。義経は「鹿が通えるならば、馬も通えよう」と兵たちを励ました。

難路をようやく越えて義経ら70騎は平氏の一ノ谷陣営の裏手に出た。断崖絶壁の上であり、平氏は山側を全く警戒していなかった。

 開戦・生田の戦い
2月7日払暁、先駆けせんと欲して義経の部隊から抜け出した熊谷次郎直実・直家父子と平山季重らの5騎が忠度の守る塩屋口の西城戸に現れて名乗りを上げて合戦は始まった。平氏は最初は少数と侮って相手にしなかったが、やがて討ち取らんと兵を繰り出して直実らを取り囲む。直実らは奮戦するが、多勢に無勢で討ち取られかけた時に土肥実平率いる7000余騎が駆けつけて激戦となった。

午前6時、知盛、重衡ら平氏軍主力の守る東側の生田口の陣の前には範頼率いる梶原景時、畠山重忠以下の大手軍5万騎が布陣。範頼軍は激しく矢を射かけるが、平氏は壕をめぐらし、逆茂木を重ねて陣を固めて待ちかまえていた。平氏軍も雨のように矢を射かけて応じ坂東武者をひるませる。平氏軍は2000騎を繰り出して、白兵戦を展開。範頼軍は河原高直、藤田行安らが討たれて、死傷者が続出して攻めあぐねた。そこへ梶原景時・景季父子が逆茂木を取り除き、ふりそそぐ矢の中を突進して「梶原の二度懸け」と呼ばれる奮戦を見せた。

義経と分かれた安田義定、多田行綱らも夢野口（山の手）を攻撃する。

生田口、塩屋口、夢野口で激戦が繰り広げられるが、平氏は激しく抵抗して、源氏軍は容易には突破できなかった。

逆落とし
精兵70騎を率いて、一ノ谷の裏手の断崖絶壁の上に立った義経は戦機と見て坂を駆け下る決断をする。

『平家物語』によれば、義経は馬2頭を落として、1頭は足を挫いて倒れるが、もう1頭は無事に駆け下った。義経は「心して下れば馬を損なうことはない。皆の者、駆け下りよ。」と言うや先陣となって駆け下った。坂東武者たちもこれに続いて駆け下る。二町ほど駆け下ると、屏風が立ったような険しい岩場となっており、さすがの坂東武者も怖気づくが、三浦氏の一族佐原義連が「三浦では常日頃、ここよりも険しい所を駆け落ちているわ。」と言うや真っ先に駆け下った。義経らもこれに続く。大力の畠山重忠は馬を損ねてはならじと馬を背負って岩場を駆け下った。なお『吾妻鏡』によれば、畠山重忠は範頼の大手軍に属しており、義経の軍勢にはいない。

崖を駆け下った義経らは平氏の陣に突入する。予想もしなかった方向から攻撃を受けた一ノ谷の陣営は大混乱となり、義経はそれに乗じて方々に火をかけた。平氏の兵たちは我先にと海へ逃げ出した。

鎌倉幕府編纂の『吾妻鏡』では、この戦いについて「源九郎（義経）は勇士七十余騎を率いて、一ノ谷の後山（鵯越と号す）に到着。」「九郎が三浦十郎義連（佐原義連）ら勇士を率いて、鵯越（この山は猪、鹿、兎、狐の外は通れぬ険阻である）において攻防の間に、（平氏は）商量を失い敗走、或いは一ノ谷の舘を馬で出ようと策し、或いは船で四国の地へ向かおうとした。」とあり、義経が70騎を率い、険阻な一の谷の背後（鵯越）から攻撃を仕掛けたことが分る。これが逆落しを意味すると解釈されている。

九条兼実の日記『玉葉』では搦手の義経が丹波城（三草山）を落とし、次いで一ノ谷を落とした。大手の範頼は浜より福原に寄せた。多田行綱は山側から攻めて山の手（夢野口）を落とした。と戦況を書き残している。ここでは義経が一ノ谷を攻め落としたことは記しているが、逆落しの奇襲をかけたとは書いていない。

なお本項目の経過解説と画像では、逆落しの場所を現在この合戦の説明の際に主流になっている一ノ谷の裏手鉄拐山とする説（一ノ谷説）を採っているが、『平家物語』や上記『吾妻鏡』では義経の戦った場所は鵯越（一ノ谷から東方8キロ）となっており鵯越説も根強く、またそもそも逆落し自体が『平家物語』が創作した虚構であるという見方も有力である。（後述）

 平氏敗走
混乱が波及して平忠度の守る塩屋口の西城戸も突破される。逃げ惑う平氏の兵たちが船に殺到して、溺死者が続出した。

生田口の東城戸では副将の重衡が8000騎を率いて安田義定、多田行綱らに攻められ危機に陥っている夢野口（山の手）の救援に向かった。午前11時頃、一ノ谷から煙が上がるのを見た範頼は大手軍に総攻撃を命じた。知盛は必死に防戦するが兵が浮き足立って、遂に敗走を始めた。

安徳天皇、建礼門院らと沖合いの船にいた総大将の宗盛は敗北を悟って屋島へ向かった。

西城戸の将の忠度は逃れようとしていたところを岡部忠純に組まれて負傷し、覚悟して端座して念仏をとなえ首を刎ねられた。歌人だった忠度が箙に和歌を残していた逸話が残っている。

合戦の一番乗りの功名を果たした熊谷次郎直実は敵を探していると、馬に乗って海に入り、沖の船へ逃れようとする平氏の武者を見つけて「返せ、返せ」と呼びかけた。武者はこれに応じて、陸へ引きかえして直実と組むが、勇士の直実にはとても敵わず、組み伏せられた。直実は首を取ろうとするが、武者の顔を見ると薄化粧をした美しい顔立ちの少年だった。武者は清盛の弟経盛の子敦盛16歳と名乗った（『源平盛衰記』による。『平家物語』では名乗らない）。直実の息子直家も同じ16歳で、憐れに思い逃そうとするが、他の源氏の武者が迫っており、とうてい逃れることはできまいと泣く泣く敦盛を討ち取った。直実は武家の無情を悟り、後に出家して高野山に登った。『平家物語』の名場面である。史実でも直実は敦盛を高野山で供養し、その後出家して法然に仕えている。『吾妻鏡』によると出家の直接の理由は所領を巡る訴訟に敗れた際、梶原景時の言動に怒ったためである。

敗走した平重衡は、梶原景季と庄氏によって捕らえられた。『吾妻鏡』では児玉党の武将である庄太郎家長に、『平家物語』では庄四郎高家に捕らえられたとある（研究者の間では、武功に見合うだけの恩賞を与えられている点から家長説が有力視されている）。

この敗走で平氏一門の多くが討たれ、平氏は屋島へ逃れて、戦いは鎌倉方の勝利に終わった。

 戦後
神戸市須磨区の須磨寺境内にある平敦盛の首塚範頼軍は平通盛、平忠度、平経俊、平清房、平清貞を、義経・安田義定軍は、平敦盛、平知章、平業盛、平盛俊、平経正、平師盛、平教経をそれぞれ討ち取ったと言われているが『平家物語』や『吾妻鏡』など文献によって多少異なっている。この戦いで一門の多くを失った平氏は致命的な大打撃をうける。

後白河法皇は捕虜になった重衡と三種の神器を交換するよう平氏と交渉するが、宗盛はこれを拒絶し、合戦直前の休戦命令に従っていたにも係らず、突然源氏に襲われたということに対する抗議と「休戦命令は平氏を陥れる奇謀ではなかったか」との後白河法皇への不審を述べ立てている。

合戦に大勝した鎌倉政権軍も戦略目標である三種の神器奪還には失敗しており、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いへと戦いはまだ続くことになる。

平氏敗北の要因
平氏敗北の要因について、後白河法皇が平氏へ講和の提案を行い、大幅に武装解除させる一方で、鎌倉政権軍と連携して対平氏攻撃を着々と準備した計略であるという説が有力である。

この説では、合戦直前の2月6日の後白河法皇の休戦命令と、合戦後の宗盛の「休戦命令を信じていたら、源氏に襲われて一門の多くが殺された、（平氏を陥れる）奇謀ではないのか」という法皇への抗議の書状を重視して、法皇を信頼して和解に向け展望を開いていた平氏にとって、鎌倉方の突然の攻撃は想定できるものではなく、鎌倉側の勝利は必ずしも源義経の将としての能力などだけに起因しているのではないとしている。

これに対し、地理を熟知していた平氏側も東門・北門（夢野口・古明泉寺（明泉寺）の2箇所）・西門と要所に布陣しているので、やはり戦になった場合の事も考えていたとする反論もある。

 『玉葉』の伝える源平の兵力
『吾妻鏡』では源氏の兵力は範頼軍は5万4千騎、義経軍は2万騎とある。『平家物語』も同程度の兵力であり、ほとんどの合戦関係本で、この合戦を解説する際には主にこの数字が使われており、本項目の経過説明もこれに従っている。しかし、別の見方もある。

九条兼実の日記『玉葉』の2月4日の記事では「源納言（源定房）の話では、平氏は主上（安徳天皇）を奉じて福原に到着。九州の軍勢は未だに到着しないが、四国、紀伊の軍勢は数万という。来る十三日に入洛しようとしている。一方で官軍（源氏）は僅かに一、二千騎に過ぎない。」とある。

また、2月6日の記事では「或る人の話によると、平氏は一ノ谷を退き、伊南野に向かった。しかし、その軍勢は二万騎である。官軍（源氏）は僅かに一、二千騎である。（中略）また別の人の話では、平氏が引き上げたのは謬説であり、その軍勢は数千、数万を知らずある。」とある。

『玉葉』に従えば、平氏は数万騎であるのに対して源氏は1～2千騎程度の僅かな軍勢しかいない圧倒的に不利な状況にあったことになる。源平が互角の兵力で衝突したよう（特に範頼の生田の森の戦い）に記述がされている従来の『吾妻鏡』『平家物語』を基にした合戦観が全く崩されてしまう。これでは10倍以上の兵力差があり、常識的に合戦にならない。範頼と義経は10倍以上の平氏の本営福原へ攻撃を仕掛けたことになる。にもかかわらず、源氏は勝利している。

『吾妻鏡』の一ノ谷の戦いの合戦記述には軍記物語の『平家物語』の影響があるという指摘もある。そのために『吾妻鏡』にも義経が勇士70騎で一ノ谷の裏山（鵯越）に立ち、鵯越から攻撃を仕掛けて一ノ谷を落としたという逆落しを『平家物語』を肯定する記述になっている。しかし、逆落しは荒唐無稽であり、信じるべきではないという見方が歴史学の専門家では一般的で、そうなると、上の節のような「後白河法皇の奇謀」という大胆なトリックが必要になるのである。つまり、この合戦全体が政略的な奇襲であり、圧倒的に優勢な平氏は（見方によっては）ほとんど武装解除に近い状態にあったところを源氏に襲われて（まともな合戦にもならず）大敗を喫したということになる。

この説に従えば、範頼の生田の森の激戦も、もちろん、義経の逆落しもなく、本項目の経過説明のような一般に語られる『吾妻鏡』『平家物語』を元にした合戦解説は全て虚構ということになる。激戦だったという従来のこの合戦の理解は根本的に崩れる。

『吾妻鏡』と『平家物語』を創作であると捨てて、厳密に『玉葉』のみを採れば、「義経は三草山と一の谷を落として、範頼は浜から福原に寄せた。多田行綱は山の手を攻略し、合戦は2時間足らずで終わり、平氏は敗走した。」以外は具体的な戦闘推移は何も分らなくなるのである。

しかしながら、それでは、合戦経過がほとんど何も書けなくなり、身も蓋もないので一般的な合戦解説では、後白河法皇の政略を加味しつつ、具体的な合戦経過は『玉葉』を交えつつも主に『吾妻鏡』と『平家物語』を採り、兵力については全く異なるために『吾妻鏡』を採り、『玉葉』は1～2千騎という源氏の兵力は無視して、数万騎という平氏の兵力のみを採ることになる。合戦の具体的な経過については、最新の研究がまだ研究者によってまちまちで一致せず、一般にも十分に普及していないので、本項目の合戦経過は一般向け書籍や観光案内で使われるそれに従っている。

 逆落しの場所の論争
 鉄拐山より須磨浦を望む名高い義経の逆落としだが、一般的には「鵯越」から行われたと言われている。『平家物語』では義経らが駆け下った場所を鵯越とし描いており、『吾妻鏡』でも義経が戦った場所は鵯越と記されているからである。しかし、鵯越（神戸市兵庫区鵯越町）は一ノ谷（神戸市須磨区一の谷町）の東方8キロにあり、『吾妻鏡』『玉葉』『平家物語』の義経が一ノ谷の陣を攻略したという記述と矛盾する。

このため、一ノ谷という攻略地点を重視して桑田忠親國學院大學教授（故人）などは戦況や史料の断片的な記録から判断して逆落としは一ノ谷の裏手鉄拐山の東南の急峻な崖から行われたと述べている。一ノ谷から遥かに離れた鵯越より、一ノ谷背後の鉄拐山の崖である方が戦況の説明が合理的になるため、近年の合戦を扱った関係書籍や観光史跡案内（例：義経「神戸源平物語」）などでも主にこの一ノ谷説が採られており、本項および戦況地図画像もこの説に従って記述している。

一方で、『吾妻鏡』や『平家物語』の記述どおりに逆落としの場所は鵯越であるとの説も根強い。このため、逆落としが行われた場所が鉄拐山の東南か、鵯越かで長年論争になっている（神戸市文書館 源平特集：一ノ谷の合戦）。神戸市の歴史家落合重信は鵯越説を採り、義経は山の手（夢野口）の通盛・教経・盛俊の陣を攻略したとしている。『平家物語』にも義経は北方の山の手鵯越方面の盛俊の陣に攻撃を仕掛けたとある[1]。 また、鵯越説を採る立場からは、平氏の城が置かれた場所は現在の須磨区一の谷町とは異なるとして（現在の須磨区の一の谷は江戸時代に現れた地名であるとしている）、従来の合戦の解説での一ノ谷の位置の比定が根本的に誤っているとする説もある（兵庫県郷土史家・梅村伸雄。

しかしながら、義経が崖ないし坂を駆け下って平氏の一ノ谷の陣営奇襲したという「逆落し」自体は当時の一級史料である『玉葉』には記されておらず、また『吾妻鏡』の合戦の記述には『平家物語』の影響が指摘されている（神戸市文書館 源平特集：一ノ谷合戦）。そもそも、急峻な崖を騎馬で駆け下るなぞ物理的に不可能であろうとして、「逆落し」は『平家物語』が創作した虚構であるとの見方が歴史学の専門家の間では有力である。

山の手攻撃の将
本項目の合戦経過には3000騎を率いる義経（三草山の戦い後に7000騎を土肥実平に与えて別行動を取らせている）が兵を分けて70騎を率いて一ノ谷の裏山に向かい逆落しの奇襲を行ったとしている。ところが逆落しを詳細に記述している『平家物語』では義経は兵を分けず3000騎で鵯越から一の谷へ逆落しをかけている。一方、『吾妻鏡』では一の谷の裏山に回ったのは「勇士七十騎余」となっている。逆落しが本当にあったとすれば、この方が多少は現実的と考えられ、合戦関係本の多くがこの後者の数字を採っている。すると残る大部分の兵は誰かが率いたことになる。そして教経、盛俊が守る山の手（夢野口）を攻撃した。多くの合戦関係本でそのような経過になっており、本項目でもそれに従っている。

『吾妻鏡』の戦果報告で範頼、義経と並んで安田義定の名が見える。この三人が合戦の各方面の大将を務めたと考えられる。義定は義経の搦手軍に属し、戦果報告で平経正、平師盛、平教経を討ち取っており、教経は山の手（夢野口）の将と考えられることから、一般に義定が山の手を攻めた大将と推定されることが多い。例えば、2005年の大河ドラマ『義経』でも、そのように描かれている（もちろん、ドラマなので考証性は問題にならないが、この説が一般に流布しているという点である）。

安田義定は甲斐源氏で平氏打倒に挙兵し、富士川の戦いで大功を立てている。その後は源義仲に属して入京し、さらに義仲を見限って宇治川の戦いでは再び鎌倉方に属すなど独自の行動を取っている。甲斐源氏は源義家の弟源義光の系統で、挙兵以来、鎌倉方では非常に大きな戦力を有していたと考えられ、血統的にも頼朝に対抗しうる一族である。

一方で、『玉葉』では義経が一の谷を落とし、範頼が浜から福原に寄せ（生田口）、多田行綱が山の手（夢野口）を落としたとある。三方から攻めたことになり、その一手は安田義定ではなく多田行綱だった。ところが『吾妻鏡』の編成でも戦果報告でも多田行綱の名が見当たらない。

多田行綱は鹿ケ谷の陰謀で清盛に密告した人物として有名だが、摂津国多田源氏の棟梁である。多田源氏は京武士として活動し朝廷との関わりが強く、畿内では大きな力を持っていた。多田行綱も反平氏に挙兵して、義仲が後白河法皇を攻撃した法住寺合戦では院方の主力として戦っている。

多田行綱が合戦のあった摂津国に地盤を有して兵力も多く、地理も熟知していた筈であることから、山の手を攻めたのは『玉葉』で明記されている通り、多田行綱であろうとする説もある。一ノ谷の戦いで最も活躍したのは地元の多田行綱であるという説まである（神戸市郷土史家・梅村伸雄[3]）

元木泰雄京都大学大学院教授は、多田行綱の戦功が『吾妻鏡』にない理由は、平氏滅亡後の文治元年（1185年）に行綱が頼朝の怒りを受けて所領を没収されたためであろうと述べている。 なお、安田義定も後に頼朝によって所領を没収され死に追いやられている。

山の手を攻撃した将が安田義定か多田行綱かは本によって、まちまちであり、本によっては折衷案なのか安田義定と多田行綱の両人の名を併記していることもある。本項目でも便宜上、山の手攻撃の将として安田義定と多田行綱の二人の名を併記するが、二人が共同して山の手を攻めたという史料的な根拠がある訳ではない。安田義定が『吾妻鏡』の三人の大将の一人に挙げられ、山の手を守る教経を討っており、一方で多田行綱は『玉葉』で山の手を落としたと明記されており、二人がこの方面で将として戦っていたであろうからである。

近年の研究
菱沼一憲（国立歴史民俗博物館科研協力員）は著書「源義経の合戦と戦略 ―その伝説と実像― 」（角川選書、2005年）で、この合戦について以下の説を述べている。

2月4日、搦手義経軍は、播州・三草山の平資盛、平有盛らの陣に夜襲を仕掛けて敗走させ、東播磨を制圧しつつ、一ノ谷口の西隣・塩屋へ集結した。東播磨一帯は平家の地盤であり、兵・兵糧の徴発徴収を行っていた。また、大軍の通行できる幹線道路もあり、重要な上洛ルートでもあった。三草山が破られたと知った平宗盛は、義経軍へ備えて猛将平教経を鵯越の防衛へ加えた。

『玉葉』によると、2月7日早朝、矢合せの時刻通り、範頼は生田口を、義経は一ノ谷口を、多田行綱は鵯越口を攻め始めた。まず、行綱が鵯越口を落とした。鵯越は平家本陣である福原・大輪田の泊に最も近かったため、宗盛は安徳天皇を奉じて海上へ逃れ、一ノ谷・生田も相次いで陥落した。

多くの武将が討ち取られたことについては、大輪田の泊に最も近い鵯越口が最初に陥落したために生田・一ノ谷にいた将兵が逃げ遅れたことが原因ではないかと推測している。

「一ノ谷の戦い」という名称について
実際の合戦は、福原を中心に生田口・一ノ谷口で行われており、一ノ谷だけが戦場だったわけではない。菱沼一憲によると、義経側から多くの情報が外部に流れたため、この名称で呼ばれるようになったのだという。義経は合戦後1年間、頼朝の在京代官として政務に従事しており人脈も多かったが、範頼は鎌倉へ帰還したため、生田口での合戦の情報が不足したというのである。

鈴木章によると、その結果『平家物語』は、平氏の本陣は福原であるはずが一ノ谷であるかのように記述し、鵯越は一ノ谷の遥か東方に位置するのに平氏本陣を見下ろせる場所と描写するなどの工夫を施しているという。

しかしながら、「一ノ谷」については、多くの歴史的文献を鑑みて元々、湊川、会下山南部にあった湖を呼称していたのが須磨の地名を呼称するように変わったとする説がある。『平家物語巻九』『源平盛衰記巻三十七』での平忠度が討ち取られるまでの記述においてもそのことが伺い知れる。生田・一ノ谷での戦いの呼び方も文献では「東城戸の戦い」「西城戸の戦い」とそれぞれ呼称されている。

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